境界知能ですが、ブログを書きます。
知能が境界域で発達凸凹の当事者です
はじめまして。まずは自己紹介をしようと思います。
年齢は20代後半。性別は女。
性格は不安が強く内向的。
幼少期から日常に困難を感じつつも、とある中堅大学を卒業。
なんとか就職するも職を失う。
自分のことをよく知りたいと思い、知能検査を受けた結果、全検査IQ79。
一番低い指標に至っては71。
IQ70以下は知的障害となるようです。
私は知的障害グレーゾーン、境界知能と呼ばれる部類と判明。
細かくみると目立ったバラつきがあり発達が凸凹していることも判明。
発達障害が疑われるという認識でよいのかなと思います。
そして精神科に通院治療しながら、再就職をゆるく目指しています。
なぜ境界知能の当事者ブログを書くのか
さて、ブログを書くのはなぜか、なんのためなのかというのを初めに書いておいたほうが良いでしょう。
なぜなら境界知能や発達障害などとてもデリケートな話題について書き、なおかつ専門家ではなくただの当事者なのですから。
簡単に言ってしまえば、「自分や、自分と似た人間、またその周囲の生きやすさを模索していくため」です。
知能検査を受けた時には境界知能という言葉を知りませんでした。
結果の説明を受け、境界域であると知った後に境界知能について調べ始めました。
しかし、あまり情報がないのです。
情報過多のインターネットの時代にとても不自然な感じがしました。
次第にそのことに納得がいくようになりました。
そもそも知能検査を受けて自分のIQを知っている成人は少数派だと思われます。
また、はっきりとしたIQ70以下の知的障害であれば幼少期に検診や言葉の遅れなどから診断に結び付き、療育手帳を取得して福祉と繋がって成長していくことが多いと思われます。
グレーゾーン、境界域であればどうでしょうか。
もし幼いころにそのような疑惑があっても本人が知る機会はあまりないように思われます。
境界知能というだけでは障害ではなく、手帳や福祉の支援の対象ではありません。
また境界知能そのものに対しては治療法はなく、研究対象ともされないような印象があります。
様々な分野や理由から啓蒙され周知されるようなものではなく、とても触れにくいものだということが分かりました。
しかしやはりインターネットはアンダーグラウンドな側面がまだあるようです。
「ギリ健」というインターネットスラングを目にすることとなります。
「ギリギリ健常者」という意味です。
主に知的障害に近いがそうではない存在、そこから広がって発達障害グレーゾーンに見える人を指す蔑称として知られているようです。
そういえば以前にも見たことがあり、なるほどなと思いました。
大人の発達障害、または発達障害グレーゾーンというものの認知はこの10年ほどで世間にかなり広まりました。
うつ病などの理解も広まり、精神科への繋がるハードルは低くなったのではないでしょうか。
それに伴って境界知能であると判明する私のような存在は増えると思います。
次は境界知能という言葉が広がるのかもしれません。
そのときにインターネットに出てくる情報が侮蔑するような言葉ばかりでは絶望してしまう人が多くなると思いました。
私が生きやすさを模索する様子を書き残すことで自分自身のためになるだけでなく、誰かの絶望を和らげることができるかもしれないと思いました。
少なくとも侮蔑ではないものをインターネットに置いておきたいと思いました。
また境界知能であっても人それぞれ様々なことで差があります。
境界知能という大まかなカテゴライズで絶望したり劣等感に苛まれることには何の意味もないと思うのです。
このことから、「当事者A」として一例をインターネットに書き残しておこうと思いました。
境界知能という大きなカテゴリーではなく、「当事者A」という具体的な存在として生きやすさを模索していきたいと思いました。
AさんがいるならBさんもCさんもいるはずで、その人たちは境界知能であっても私と同じところもあれば違うところもあり、なにが生きやすいかもそれぞれで良いのです。
具体的な存在であることでその当然のことを私自身も読んでくれた人も認識して、一旦放り込まれたカテゴリーから個人であることを取り戻せるのが当事者がブログを書く大きなメリットだと思っています。
無駄に長くなりました。今後、端的にまとめます。
おわりに・注意事項
当事者によるブログです。訓練を受けた専門家ではありません。
私なりに偏ったり間違ったりした情報は避ける努力はしますが、なにかありましたらコメントにてお知らせください。
その他、感想なども気軽にコメントをくれると私が喜びます。
それでは、長文を読んでいただきありがとうございました。
参考:
知的障害(精神遅滞) | e-ヘルスネット(厚生労働省) (mhlw.go.jp)