発達障害で幸せを見失った人は『されど私の可愛い檸檬』を読め
小説『されど私の可愛い檸檬』感想文 ネタバレすこし注意
この本は舞城王太郎による3篇の小説集です。
全246ページ。1篇がそんな長くないので手に取りやすいかなと。
「トロフィーワイフ」感想
舞城王太郎らしいスピード感のある独特な文体とサイコホラー感満載のなか、幸せってなんだろうってことについて考えさせられる物語。
幸せってなんだろう…ってあまりに陳腐な言葉すぎて自分で笑ってしまいますね。
いやでも、幸せって特別なものじゃなくて普遍的なものなんですよっていう。
周りのほうが要領良くて眩しく見えたり、自分自身のことが嫌になったりして落ち込むことがなにかと発達障害や境界知能だと多いと思います。
そうして普遍的なもの、当たり前のことを見失ってしまうときってありませんか。
それを取り戻すきっかけをくれるのがこの物語です。
「ドナドナ不要論」感想
幸せを考えたあとは悲しみに目を向けていくお話です。
ドナドナのような、かなしい歌がなぜあるのか。
かなしいことをプラスに考えようとか、そこから得るものがあるとか、嫌なことがあったらその分良いこともあるんだとか、そんな雑でポジティブな言葉が私は嫌いです。
発達障害というと超人的な能力を持つ人もいるようですが、私は境界知能であり、低いところで凸凹しているのです。
なにもいいところがない。ダメでしかない。かなしいものでしかない。
もう嫌だ!!!!!!!
そんな私でも、悲しみ「だけ」の人生じゃないなと思えたのがこの物語です。
発達障害などの問題はとても大きいけれど、人生がそれすべてに集約されたり、それだけで表現できるものではないはずだと思えます。
人生はもっと複雑なものなんだ。
「されど私の可愛い檸檬」感想
元も子もないことを書いてしまうと、この物語の男の子は発達障害だと思われます。
また、発達障害という言葉を使わないものの、そうではないかと周囲から言われるようなシーンがあります。
人に好かれやすい場面もあり、素直で真面目で良い青年に思えるところもある。
けれど妙に要領が悪いところがあり、なかなか決断をすることができなかったり、暗黙のルールが分からなかったりする。
確かに困ってはいるんだけど、自覚するのが難しく、精神科に行ってもそれを上手く表現できない。
発達障害の診断基準そのものやステレオタイプのイメージ像ではなく、なにかが妙にスコーンと抜けている違和感がとてもリアルに描かれています。
「発達障害という言葉を使わない」ということの良さが小説だからこそあるとおもいます。
発達障害の人が主人公の小説ではなく、日常に困っていることがある人が主人公の小説なのです。
主人公の悩みのどれかには殆どの人は共感を覚えるのではないでしょうか。
人間は「定型発達」と「非定型発達」のどちらかではないということが感覚として分かる内容とも言えるかもしれません。
どうにもできない困っていることを抱えながら、ひとりの人間としてどうやって周囲をみて折り合いをつけて生きていくか。
その答えのない問いに向き合うときに支えになるような小説です。
おわりに
陳腐な言葉で感想をつらつらと述べましたが、それは私の能力のなさからくるものでして、『されど私の可愛い檸檬』は頭の中がブン殴られるような眼がギャンギャンに覚めるような素晴らしい舞城王太郎節です。
幸せを見失った人は読めと書きましたが、本当に調子が悪い人は今読むべきではありません。まあ調子が悪いと小説を買って読もうとはならないとは思いますが。
悩んでいるときに小説に救われることってありますよね。
その瞬間をブログに残したいなと思います。